平成30年度 通称寺の会研修会が「出水の毘沙門さま」「ひょうたん寺」「つまとり地蔵」で行われました。



平成30年11月5日 平成30年度 通称寺の会研修会が「出水の毘沙門さま」「ひょうたん寺」「つまとり地蔵」で行われました。


最初に「出水の毘沙門さま」を訪れました。

〒602-8359
京都市上京区出水通六軒町西入ル七番町331

「出水の毘沙門さま」は正式には蓮金山華光寺といい、天正十一年(一五八三)大本山妙顕寺の顕彰院日尭上人が豊臣秀吉の外護を受け隠居所として創建されました。

寛文三年(一六六三)に出水の現在地に移転し、武家の菩提寺として栄え、四ヵ院を有し、京都二十一ヵ本山の一つに準じられました。




山門を潜ると、広大な敷地に大きな本堂が目に入ります。




境内の梵鐘は鎌倉後期の代表作で京都府の文化財に指定されています。






この梵鐘の下に松の古株があり、秀吉お手植えの松で、晴れの日に雫が落ちる様子から「時雨松」と呼ばれ、同じく秀吉愛好の「五色椿」と共に、「出水の七不思議」と呼ばれました。共に枯死してしまい、梵鐘の下に置かれています。





本堂の右側には通称の元となった毘沙門さまが祀られており、外には鳥居が建てられています。




本堂の中で御住職の説明を受けました。




毘沙門さまは平安後期の作で甲冑をまとい右手に三叉戟を執り左手は腰に託し夜叉鬼を踏んでいます。

伏見城で祀られていた毘沙門天を、秀吉自ら奉納祭祀したと云われています。




以後、開運厄除の毘沙門さまとして信仰を集めています。





次に「ひょうたん寺」を尋ねました。






〒602-8359
京都市上京区出水通千本西入ル七番町323-1

「ひょうたん寺」は正式には竹林山宝寿院正光坊福勝寺といい、弘法大師が河内国に創建され、正嘉年間(1257~59)に覚済僧正が京都に移しました。




本堂の中で御住職の説明を受けました。






皇室の崇敬厚く、後陽成天皇は病気にかかった時、当寺本尊薬師如来へ祈願され、菊の御紋を当寺へ寄付し勅願所にされました。




本尊の左に祀られている聖観音菩薩は後西天皇の勅願を受け、京都で一番古い観音様で洛陽三十三観音の二十九番札所になっています。





この本堂の左の間に祀られている歓喜天は「聖天さん」とも呼ばれ、強い力を有することから御利益も大きいと厚い信仰を集めています。




春の節分の日には、普段閉じられている門が開かれ通称名の元になった「宝珠尊融通御守ひょうたんのお守」を受けに多くの参詣者が訪れます。




また豊臣秀吉は当寺の歓喜天に厚い信仰を寄せ、武運長久を祈って瓢箪を奉納しました。戦勝の後、その瓢箪で千成瓢箪を作り旗印にしました。

当寺を「瓢箪寺」というのもこれより出ています。





さらに、「妻娶地蔵」を訪れました。




〒602-8353
京都市上京区下立売七本松東入長門町

「妻娶地蔵」は正式名称は大應山慈光院裕正寺と云い、浄土宗大本山百万遍知恩寺の末寺にあたります。




慶長七年(一六〇二)円誉雲白和尚により創建されました。




山門の横にまた小さな門があります。慈光弁財天が祀られています。
この弁財天では11月23日にお火焚きが行われます。




山門を潜ると本堂の左側に地蔵堂があります。霊元法皇の勅願により寛文十三年(一六一三)洛陽四十八願所の第九番札所として創建されました。




地蔵堂に安置されている延命地蔵尊は、通称名の元となる「妻娶地蔵」(妻取地蔵)(つまとりじぞう)と呼ばれています。
地蔵堂の中で御住職のお話を聞きました。
正式には「娶妻結地蔵尊」ですが、「つまとり地蔵」と通称で呼ばれ、縁結びを守護し給う地蔵尊です。




地蔵尊は美しく着色され、台座に腰かけて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組む半跏地蔵尊であり、そのお姿は良縁の願いを聞き届けて下さる優しさに満ちています。




地蔵堂の横にあるしだれ紅梅は春先には桃色の花を咲かせて、お地蔵様をより一層華やかに彩ります。




祐正寺を始め先ほど訪れた華光寺や福勝寺のある界隈には多くのお寺が並んでいます。

薬師霊場や地蔵霊場・観音霊場など、札所巡りのエリアでもあり、また「出水の七不思議」と言われる故事伝説が伝えられている特別の地域でもあります。





このブログの人気の投稿

令和2年11月、通称寺の会の公式ガイドブックが出来上がりました。

平成29年8月「通称寺の会」の新しいチラシが出来ました

令和元年度 通称寺の会研修会が「妙顕寺」「鳴虎・報恩寺」で行われました。