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平成27年9月「通称寺の会」のポスターが出来上がりました

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平成27年9月「通称寺の会」のポスターが出来上がりました ポスターは、A2版 で、チラシと同じく「釘抜地蔵 石像寺」の写真を背景に 「通称寺」の説明を載せています。 下に会員寺院の一覧を載せています 各通称寺に配られ、要所に張り出されます。 これで、「通称寺の会」の広報として、ポスター、チラシ、ホームページの 三点セットが揃いました。 これらをご覧になって、より多くの方がお詣りに来て頂くよう、 心よりお待ちしています。 昨年6月に「通称寺の会」のホームページを公開し、 本年1月にブログを開設しました。 幸い多くの方に見ていただいて、 通称寺巡りのブログなどにリンクしていただいています。 「通称寺の会」ホームページ 「通称寺の会」ブログ 「通称寺の会」Google+ 「通称寺の会」の活動をリアルタイムでお伝え出来るようになりました。 ネットを通じて、より広く「京の通称寺」を知って頂ければ幸いです。

平成27年3月 「通称寺の会」のチラシが出来上がりました

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平成27年3月 「通称寺の会」のチラシが出来上がりました チラシは、A4版 表面は「釘抜地蔵 石像寺」の写真を背景に「通称寺」の説明を載せています 裏面は各通称寺のシールと住所の一覧になっています 各通称寺や京都駅の観光案内所「京都ナビ」に置かれます このチラシを手に取って、また多くの方が通称寺を訪れて頂くよう、 お待ちしています。 スタッフ後記 チラシを作るにあたって、通称寺の特徴のあるお寺として、 先ず浮かんだのが、このチラシに写っている、「釘抜地蔵 石像寺」でした。 お堂正面に鎮座している、堂本印象画伯製作奉納の大きな釘抜き そしてお堂の廻りを埋め尽くす釘抜の絵馬 これらが「釘抜地蔵」さんのイメージでした しかし、チラシの写真を撮りにお寺に寄せていただいた時、 そうしたイメージは飛んでしまいました お堂の前の「大釘抜き」の写真を撮ろうと、カメラを向けると、入れ代わり立ち代わり、 お詣りの人が訪れます お堂の前の大きな釘抜きを撫でてお願いごとをする人、 お堂の廻りを数取棒を持って廻る人 皆熱心な釘抜地蔵さんの信者さんです カメラを向けるのが恥ずかしくなる くらいです チラシに人が写らないように、お詣りの方がいなくなるまで、 床几に座ってお詣りの方を眺めていました しかし、大変良い勉強になりました。 我がお寺もこの様なお寺にしたいと、密かに心に誓いました。

平成26年度 通称寺の会研修会が「橋寺放生院」で行われました

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平成27年1月27日 平成26年度 通称寺の会研修会が「橋寺放生院」で行われました 「橋寺放生院 」 宇治市宇治東11         京阪宇治駅下車南へ100m 研修会は「通称寺の会」会員寺院の研修と親睦を兼ねて会員寺院で毎年行われます 本堂にて、会員一同読経の後、御住職がお寺の由緒など丁寧に説明されました。 橋寺放生院は、 推古天皇十二年(604)聖徳太子の発願により秦河勝が建立という大変な古刹です。 その後大化二年(646)に僧道登により宇治川に橋が架けられ、安全祈願のため堂塔を建立し、 弘安二年(1281)西大寺の僧叡尊により堂塔修理し、今日の本尊地蔵菩薩を彫し、聖徳太子の念持仏地蔵菩薩を胎内に納めました。 一方、叡尊律師は宇治橋を新たに仮設し、宇治川で死した生類慰霊の為、塔の島に十三重の塔を建立し、当寺で盛大な放生会を営みました。 以来、御宇多天皇より宇治橋の管理をまかされ、宇治橋の守り寺と称されました。 宇治橋断碑は天平時代作と推定され、僧道登が宇治橋を架けた経緯を格調高い名文で刻んだものです。 碑の風化を防ぐため、お堂の中で大切に保存されています。 本尊地蔵菩薩は御丈1.9mという大きな仏様です。 御住職のお許しを得て、特別に間近に拝ませていただきました。 およそ七百年前に造立され、ほとんど修理などされたことが無いそうです。しかし、御衣の文様は精緻で色鮮やかに残されています。 大切にお守りされてきたことが良く分かります。 宇治橋の袂で、このような素晴らしいお地蔵様にお会いできて会員一同感激していました。

通称寺の会公式ホームページを開設しました

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平成26年6月 この度、通称寺の会では、 「京の通称寺 通称寺の会 公式ホームページ」を開設しました。                   通称寺の会公式ホームページ 世情騒然とした時代にあって、心の安らぎを求め、 心豊かに生きていく支えを探しに、お寺を訪ねる方が 増えております。 「通称寺の会」の会員寺院は、訪ねて来られる方を、 暖かくお迎えします。 このホームページを参考にされて、より多くの方が通称寺に 参拝して、心の平安を得て頂ければ幸いです。