平成29年度 通称寺研修会が「真如堂」「紫雲石」「八はしでら」で行われました



平成29年10月10日 平成29年度 通称寺研修会が「真如堂」「紫雲石」「八はしでら」で行われました。



先ず「真如堂」から拝観しました。

〒606-8414
京都市左京区浄土寺真如町82


「真如堂」は、正式には鈴聲山 真正極楽寺といい、比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺です。真正極楽寺とは、「極楽寺という寺は多いけれど、こここそが正真正銘の極楽の寺である」という意味です。




一般には「真如堂」と呼ばれていますが、それはもともとは本堂の呼び名でした。約千年前の永観2年、比叡山常行堂のご本尊阿弥陀如来(慈覚大師作)を現在の地に移して安置したのが、真如堂の始まりです。




その後、不断念仏の道場として法然上人や親鸞聖人をはじめとする多くの念仏行者や民衆の篤い信仰を集め、特に女人の深い帰依を受けてきました。





仏具や打ち敷きなどに付いている「四つ目」は大檀家の三井家の家紋で、三井家は初代の三井高利氏以来、本家六家が真如堂の檀家です。




「随縁の庭」にも、背後にある仏堂(位牌殿)の蟇股に付けられた四つ目の家紋をモチーフにデザインされました。




そして「涅槃の庭」には大文字山を借景に入滅したお釈迦様が頭北面西し、周りを弟子達が悲しんでいる様子を石や植栽で表されています。




また真如堂は全国の浄土系の寺で行われる「お十夜」法要の発祥の地であり、慈覚大師が唐より将来した「引声念仏」を伝承する念仏の寺です。


次に「紫雲石」西雲院を訪ねました。

〒606-8331
 京都市左京区黒谷町121





「紫雲石」西雲院は、浄土宗祖法然上人が比叡山を下り、当地のこの石に腰を掛けられ美しい夕日の中念仏を称えていると紫雲が沸き上がり金色の光が輝き、まわりには芳香が漂っていました。「これぞ念仏有縁の地なり」と「浄土宗」を開かれました。








以来この山は紫雲山、石は紫雲石と称され、江戸時代に宗厳は法然上人由来の「紫雲石」を任され当院を開かれました。





宗厳は千日の別時念仏を修し、その後も「万日」の別時念仏を修する者ひきもきらず万日寺と称せられました。




また幕末、黒谷一山が京都守護職会津松平候の本陣となり、西雲院は会津藩戦没者墓地をあずかります。









そして「八はしでら」常光院を訪れました。

〒606-8331
京都市左京区黒谷町33

「八はしでら」常光院は天正5年(1577)に建立され、正保元(1644)年に常光院と改め、金戒光明寺とともに発展してきました。




当院の門前石段横に「八はしでら」と彫られた石碑があります。




「八はし」とは当院でお祀りしている八橋検校のことで、江戸時代初期に日本に筝曲が広まるきっかけを作った人。それまでと違った新しい筝曲を作り、これらは芸術的にも優れ、近世筝曲を確立することとなりました。多くの弟子を育て金戒光明寺に葬られました。




墓参に訪れる人絶えず、黒谷の参道に当たる聖護院で、現在の八ッ橋のもとになったお菓子が販売されたという。





6月12日の命日には毎年「八橋忌」が勤められ、箏の演奏が奉納されます。




ちなみに「紫雲石」西雲院・「八はしでら」常光院は浄土宗大本山金戒光明寺の塔頭です。







「真如堂」・「紫雲石」・「八はしでら」の建っている吉田山は神楽岡と云い周囲の平地より50~60m突出している高台です。




ここから眺める夕日は正に西方浄土を望むが如く素晴らしく参加者一同感激していました。




















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